アルパカログ

Webエンジニア兼マネージャーがプログラミングやマネジメント、読んだ本のまとめを中心に書いてます。

成長とは、主観というレンズを自ら壊すこと

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人は誰しも、自身の価値観や過去の経験というレンズを通して物事を見ています。

だから、例えばコップ半分の水を見て「まだ半分ある」と思うか「もう半分しかない」と思うかは人それぞれです。

人の成長とは、このレンズを壊してアップデートすることではないか、と私は思っています。

しかし、レンズは眼のように、すでに身体の一部になっているので、壊すには痛みが伴います。

自ら傷つけるならまだしも、他人に傷つけられるなんてもってのほか。

そう思うのが普通です。

大人になると周りからあれこれ言われなくなるのは、そのことを知っているのが大人だからです。

真実かどうかよりも、「主観的な世界」を心地よくしてくる人のほうが、社会的に歓迎される。

「知りたくもないこと」を本人に突きつけて「現実を見せる」などというのは、単なる下品な悪趣味であり、エゴである。

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傷つくのを避け、自分の「主観的な世界」に閉じこもり続けた末に待っているのは、「困った人」という残酷な結末です。

「困った人」になりたくなければ、勇気を持って痛みに立ち向かう以外に道はありません。

会社という組織では、「現状維持」は決してプラスには評価されません。

「課長のまま」という期間が長くなるにつれて、次第に会社が持て余す「困った人」という位置づけに変化していってしまうのです。

成長に必要なことは、主観というレンズ越しに物事を見ている自覚と、レンズを壊す「気付き」を受け入れる勇気です。

本当のことをわざわざ言わないのが大人だとしたら、どうやって気付きを得れば良いのでしょうか?

本当のことを言うか、言わないか。言うとしたら、どの程度伝えるか。

「あの人は言ったら怒りそうだから」

「あの人は言っても聞かないから」

そう思われてしまうと、言ってもらえず、気付くことはできません。

もし、すでにそう思われてしまっているのであれば、指摘を素直に受け入れることを伝えた上で、自分から聞いてみるべきです。

指摘を受け入れるのは、痛みが伴います。

それでもあえて、主観というレンズを自ら壊すことが人の成長なのだと、私は思います。

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